橋に明りを灯すこと

橋に明りを灯すこと

本の話と生活のこと。

江國香織とミーハー読書人間

 

先日から読みはじめていた本を本棚へとリターンし、江國香織の『思いわずらうことなく愉しく生きよ』を読みはじめる。気分の乗らないときには、ひとまず江國香織村上春樹を読めばよいのだ。

 

タイトルの文章は思っていたよりもはやく出てきた。小説のタイトルについてあまり深く考察をしたことはない。作中に出てくると気がつくが、出てこないとほとんどの場合、タイトルの意味など考えもしない。『海辺のカフカ』や『がらくた』は好きな作品だけれど、タイトルが指し示すものがなんであったのかは記憶からぽろぽろ抜け落ちている。なんで好きなのかすら、曖昧なものだって多い。記憶力が悪いというのは、なんど食べてもおいしいということで自分を認める。

 

いままでに読んできた江國香織の作品はすべて女性が主人公の物語だった。本棚には『存在の耐えられない軽さ』(5回は挑戦したが、毎回ものの数ページで挫折)や、大量のポール・オースターたちとともに、わたしの本棚にのこる最後の江國香織作品である『なかなか暮れない夏の夕暮れ』が眠っている。これが世にも珍しい、江國香織が描く男性主人公の長編物語である、らしい。

 

この本を本棚で手にとったときは、江國香織の作品は一冊読んだか読んでないか、という時期だった。いつもであれば、一銭も無駄にはできんとばかりにあらすじを読み、中身を確認し、自分が読むであろう作品だという判決が出てから購入を決意する。しかしこの『なかなか暮れない夏の夕暮れ』に至っては、まったくあらすじを確認しなかった。なぜなら、それがサイン本だったからだ。江國香織をまともに読んでいなかったのにもかかわらず、かの有名な作家のサインだと、ただ物珍しさで購入したのだった。

 

今となっては、当時のわたしのミーハーさに尊敬の念と感謝を送る。そのサイン本をきっかけに、江國作品を読み始め、今ではそのサイン本のみが、わたしの棚で読まれるのを待っている状態になったのだから。もちろん、まだまだ購入できていない江國香織作品は多くある。これからも、大切に一作品ずつ読んでいくつもりだ。