橋に明りを灯すこと

橋に明りを灯すこと

本の話と生活のこと。

切り取れる生活も底をつくことがある


ブログやSNS、動画配信、最近のネットでは自分の生活を皆へ公開する傾向にある。
わたし自身も、こうやって文章にして私の頭の中をかっぴらく。

頭の中は無限大である。 なにかしらを見る・聞く・読む・食べるなどすれば、すぐに新たな思考が生まれ始める。 毎日ひとつは新たな考え、あるいは感情が脳内を訪れてくる。 生きている限り、思考が完全に停止する日はないように思える。

生活は頭の中とは違う。 人のブログを読んでも、「読む」という行為によって変化が起きるわけではない。 新しい食べ物を食べても、体がすぐに大きくなるわけでもない。 生活の変化は、自分が何かを行った(良いこと悪いこと問わず)とき、人に何かを行われたとき、長い経過の結果にあるのではと思う。

睡眠、食事、仕事のサイクル。なんら変化のない平凡な日常を繰り返す。 その日々のなかで、普段のサイクルから外れた日を私たちはネットに晒す。 あるいは、ネットに晒すためにサイクルから外れる人もいる。 サイクルごとネットに寄り添う人もいるだろう。

お洒落なあの人も、初めからネットに公開できる生活を送っていたとは限らない。 ネットがあるからお洒落な生活を送っているのかもしれない。

あまりにもすべての日常を切り取ると、ネットが生活の中心となる。 ネットに上げるために物を買い、食べ、読み、見て、聞き、遊ぶ。それは悪じゃない。 寝ぼけてばかりの人間よりよっぽどマシだ。

生活を切り取りすぎるあまり、生活がなくなってしまわないように気を付けたい。